コラム

『コミュニティ運営に携わりたい』と思った私の原動力

こんにちは!
アクティブな右脳派のゆうこです。

先日、私のFBに
『コミュニティ運営に携わりたい』
と私の思いを投稿したところ、
沢山の反響をいただきました。

なぜ、コミュニティ運営に携わりたいと思ったのか
その想いの根底にあるお話しをしたと思います。

『コミュニティ運営に携わりたい』と思うきっかけになった、小学1年生の時に打ちのめされた悔しい経験

この話は、私が小学1年生だった
約30年前に遡ります。

私は1つ年上の年子の姉がいるのですが、
幼少期(幼稚園まで)引っ込み思案で

「ずーっと姉の後ろにくっつていいるくっつき虫で
 ゆうこ自身の友達は一人もいなかった

と、母から聞かされたことがあります。

「幼稚園は人数も少なく、お姉ちゃんと教室自体が近かったからなんとかなった。
 でも、小学校に入ったら、この子友達できるのかしら?

と、母はすごく心配したそうです。

ところが、小学校に入ると
今までの私と180度変わり、

「別人のように友達と話すようになった。」

そうです。

私自身が実際に記憶に残っているのは、
小学一年生あたりの記憶です。

 
この時、私自身が何を考えていたかというと

「クラスでみんながみんなと仲良くすれば
 1人も仲間はずれが出ない。さみしい思いをする子が出ない。
 だから、私はみんなと仲良くする」

と小さいながらに決意した記憶があります。

今考えると、小学1年生の時から
なんでこんな大そうな事を考えたのか……。

この決意で、
自分を奮い立たせようとしていたのかもしれないですね。


で、ですよ。
この決意がどうなったのか?

明確に覚えていませんが、
小学1年生の早い時期に
この決意が打ち砕かれることになるのです。


「私はみんなと仲良くしたいと思っている。
 けど、小さなグループの中だけで仲良くしたい子もいる。
 みんな一緒じゃないんだ。
 じゃあ、さみしい思いをする子が出ちゃうじゃん!」
 
今となっては受け入れらるし、
「それは、そうよね。」と思える。


でも、小学1年生の自分は
その時受け止めきれなかったんですよね。

「なんで、<みんながみんなで仲良し>の精神じゃないのだろう?
 みんながみんなで仲良しなら、世界が平和なのに……」
と。


ここから、私の暗黒時代が始まります。早
小・中・高校時代は、本当につまらなく
学校に居場所があると思えたこともなく
生きずらさを抱えて過ごした12年で、

「人生がこのままだったら、
 本当に灰色だなー」

って思っていました。


1つだけいいこと、今に活かせることがあるとすれば、
学校生活を過ごす過程で染み付いた

クラスに入れない誰をキャッチする
察する、輪の中に入れるスキル


これが、私のコミュニティに属す時

誰も取りこぼさない

という信念を作ります。

自分がいる
身近なコミュニティで


参加できてない人
参加したいけど、行動に移せない人
言いたいけど、発言ができない人

がいないか?
無意識のうちに察知し、
相手に悟られないように

ボトムアップする
発言する機会を作る
話を振る

をし、

意見が言えなかった人が言えるようになったり
「その視点なかったー」という新しい風を吹き込んだり
その方がコミュニティの真ん中に入っていくきっかけ


を作っています。

一緒に過ごす時間が、
楽しいものであったら
たとえそれ以外の時間が苦しくても
それを励みに前に進んでいけると思うんです。

その思いが、
「コミュニティ運営に携わりたい」という
私の新しい目標の根底にあります。

もし、ご自身のコミュニティで

参加されている方とのコミュニケーションを盛り上げたい
参加されている方の活動が活発になってほしい
参加されている方がどんな思いを抱えているのか知りたい

などございましたら、一度ご相談くださいね。

営業で働いていた時に
1000回を超える講習会を実施しており、
初対面で参加くださるお客様に

「いかに有意義な講習会を提供するか?
 疑問に思っていることはないか?
 聞きたくても質問できない人はいないか?」
など細やかにチェックし、場を盛り上げておりました。

ので、細かいところまでサポートできると思いますよ。


余談ですが、
小学1年生の時に感じた悔しい経験ですが
きちんと振り返っておりますので、
今は人に話せるくらい回復しましたので、
ご心配なさらずに。

こんな悔しい経験も
何かの役にたつとは、
人生何が起こるかわかりませんね。